日曜日の穏やかな午後、家の中に平穏な時間が流れていたその時、私は人生で最大級の「音のないパニック」に直面しました。トイレを済ませて何気なくレバーを引いたところ、いつもなら爽快な音とともに消えていくはずの水が、なぜかその場に留まり、あろうことか縁のギリギリまでせり上がってきたのです。タンクからは確かに水が出ていました。ジャーという元気な音とともに、新しい水が供給されているのは明らかでした。しかし、肝心の出口が完全に沈黙していたのです。水面は不気味に揺れながら、あと数ミリで床に溢れ出そうというところで止まりました。私は時が止まったような感覚に陥り、手に持っていたトイレットペーパーを落としそうになりました。水は出る、しかし流れない。この矛盾が、これほどまでに人を絶望させるものだとは思いもしませんでした。私は慌ててスマートフォンを手に取り、震える指で解決策を探しました。そこで目にしたのは「絶対に二度目のレバーを引いてはいけない」という鉄則でした。もしもう一度引いていたら、私の家は今頃、取り返しのつかない惨事に身を投じていたことでしょう。私は冷や汗を拭いながら、物置に眠っていた古いラバーカップを引っ張り出してきました。これを使うのは人生で初めてでしたが、背に腹は代えられません。便器の穴を塞ぐようにカップを押し当て、ゆっくりと力を込め、そして一気に引き抜く。この動作を繰り返すたびに、水面は不穏な動きを見せましたが、なかなか事態は好転しませんでした。腕の筋肉が悲鳴を上げ始めた頃、突然「ゴボゴボッ」という、大地が鳴るような低い音が響きました。次の瞬間、溜まっていた水が滝のような勢いで吸い込まれていったのです。私はその場にへたり込み、無人のトイレで小さくガッツポーズをしました。原因は、おそらく数日前に使った厚手のお掃除シートを一度に流しすぎたことでしょう。水が出るからといって、その出口が無限に広いわけではないという当たり前の事実を、私はこの日、骨身に染みて学びました。平和な日常は、見えないパイプの中を流れる水の循環の上に成り立っているのです。あの時の静かに上昇する水面の恐怖は、今でも私の脳裏に焼き付いて離れません。