人生においてこれほどまでに時間が止まってほしいと願った瞬間は、後にも先にもあの時だけだったと確信しています。親しい友人の新築祝いに招かれ、華やかな会話と美味しい料理を楽しんでいた最中、私はふと中座してトイレを借りました。用を済ませ、何気なくレバーを回したその瞬間、私の背筋に凍りつくような戦慄が走りました。本来なら軽やかに響くはずの洗浄音が、鈍く「ゴボゴボ」という不気味な低音に変わり、便器内の水位が恐ろしいスピードでせり上がってきたのです。トイレが流れない、その事実を脳が理解した瞬間、目の前の光景がスローモーションのように見えました。溢れる。その一点の恐怖が私を支配し、私は無意識のうちに便器の縁を掴んで祈っていました。幸いにも水は縁から数ミリというところで静止しましたが、そこにあるのは完全な沈黙と、解決不能に見える停滞の風景でした。外からは友人たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる一方で、この狭い個室の中では一人の人間が尊厳を失う瀬戸際に立たされているという、あまりにも残酷な対比に、私は眩暈さえ覚えました。ポケットの中のスマートフォンを取り出し、震える指で「トイレが流れない 対処法」と検索しましたが、出てくるのはラバーカップを使えという、今の状況では物理的に不可能なアドバイスばかりです。友人の家のトイレにラバーカップが備え付けられている可能性に賭けるべきか、それとも正直に告白してこの祝宴を台無しにするべきか、私の脳内では人生最大の葛藤が繰り広げられていました。もしこのまま放置して個室を出れば、次にこの扉を開けた者が私の犯した過ちの目撃者となるでしょう。私は意を決し、タンクの蓋を開けて内部の仕組みを理解しようと試みましたが、最新型のタンクレストイレの前では私の拙い知識など無力に等しいものでした。結局、私は三十分近くの格闘の末、バケツ代わりにした掃除用具入れで水を何度も運び込み、水圧を利用して少しずつ水位を下げるという、原始的かつ執念の作業によって事なきを得ましたが、あの時のトイレが流れないという現象がもたらした絶望的な孤独感は、今でも私の心の奥底に深いトラウマとして刻まれています。
友人の家で直面したトイレが流れない瞬間の絶望的心理